kitakita1327のブログ

年寄りの愚痴

社会のいい加減な取り組みに一言申す

何年か前から社会的にSDG sとかLGBT sとかと言


う単語がいきなり世間に出てきて、今後社会的に


取りむべき課題で誰もが取り組んでいかなけれ


ばいけない様な風潮を醸し出して、大概の会社員


が背広の右襟に17色のドーナツの様なバッチを付


けて街中や電車の車内でよく目につく様になっ


当初どんな取り組みを社会的にやるものかと思っ


ていたが、小生が知る限りにおいて特に目立って


もしていない様で今日までズルズルときている


今はあの騒ぎはいったい何だったんだと狐に化か


された様な感覚になるのは小生だけであろうか。


もっと身近な取り組みでがっかりするのは電車の


車内に設けられている優先座席やスーパーの駐車


場日本ある障害者雇用の駐車枠である。


電車の女性専用車両を無視して入って居座る男性


は見かけた事がないのに優先座席は何故無視して


健者が平気で座るのか。


満員の電車の中でも健康そうな会社員や学生が高


齢者を目の前で立たせて平気で座ってスマホをい


じり高齢者に気づかない体を装っている姿を見る


と優先座席等の必要性について疑問に思う。


本当に親切な人は電車内でも障害者の方や病人や  

妊婦や子連れを見ると特別な座席がなくても席を

 

譲るし、少しでも混んでいる電車の車内では敢え


て座ろうとはしない。


スーパーの駐車場でも同じで障害者雇用駐車枠に


平気で高級車を駐車するのをよく見かけるがスー


パーに常駐するガードマンが敢えて注意を促す等


しないと止める事に何の悪気も感じない者は平気

 

で駐車し、本当に障害を持っている人は利用出来


ないので何の為の駐車枠なのか。


いい加減な物であるならなくてもいいのではない


のか。


そう言うふうな物が目に見える所にあるだけで誰


もが社会貢献に取り組んでいる様な感じになり、


やっている感だけで誰もが満足している。


しかし、その程度の物であるなら敢えて必要では


ないのではないか。


人を思いやる心は自然に出る物で強制される物で


はなくこれから先も子孫に受け継がれるかどうか


は家庭や親にかかっていおり、これから先の日本


にも関わってくる事である。